長松城

別名-  付近住所 岐阜県大垣市長松町789 現在 荒崎小学校
2007/9/15 碑・案内板アリ 日本城郭大系


竹中源助重利→
武光式部→
一柳監物
 永禄元年(1558)竹中重元が揖斐郡大御堂より岩手に移る。この際竹中源助は之に従い来て3千石と領して此所に城を築いた。是れが長松城である。
 戦国時代で竹中源助は豊臣秀吉に仕え各地に転戦し、太閤秀吉も長松城に来ている。
 竹中源助は幾多の戦功を立て豊後国(大分県)高田城1万石に移る。その後秀吉の家臣武光式部が5千石を封じて入城する。
 慶長5年(1600)関ヶ原戦役の際、武光式部は西軍石田三成に属し此所長松城で東軍を迎え撃つ。武運つたなく8月39日桑名方面に退去するに至った。東軍一柳監物が入城して守るが戦後廃城となる。
 以後西美濃の要地として使われ末には飯沼慾斎が学問の地として住んだ。